悪夢を喰らう獏
悪夢を喰らう妖怪・獏(バク)をご存じですか?
私が好きな、あやかし小説に出てくるバクは、
夜は人の夢に入り悪夢を食べ、
昼間は寄席に出て、怪談を語って聞かせる咄家として人気を博しています。
ちなみに彼の咄家としての名前は場久(ばきゅう)。
あやかしである獏がなぜ人になりすまし、
場久として寄席に出るようになったのでしょうか。
彼はただひたすらに悪夢を食べ続けることに嫌気がさしていたのです。
来る日も来る日も江戸の町の人の夢に入って、
悪夢を食べ続ける・・・。
とはいえ、牛が草を食べるように、
ライオンが草食獣を食べるように、
獏は悪夢を食べるものです。
なにがいけなかったのでしょう?
そう。食べたら出すのが生き物の理です。
獏はただ悪夢を食べるだけ食べて、
「出す」ということをしなかったのですよね。
それで、具合が悪くなってしまった。
「話す」は「放す」
咄家を始めてからは彼は寄席では大人気になりました。
食べた悪夢をたくさんの人に話すことで
悪夢は消化され、
放たれてバクは元気になりました。
妖怪バク・咄家場久の話でしたが、
みなさんはいかがですか?
日々の自分の思い、誰かの思いを受け止めて「重い」になっていませんか?
日々目に飛び込んでくるSNSの不穏なニュース。
家族には打ち明けられない不安・恐れ。
また、意外に思われるかもしれませんが
自分のために学びとして取り込んでいる情報も同様です。
外に表現していかないと「よどんで」しまいます。
流れてこそ清らかさを保てます。
ここは自戒の念もこめて書きますが、
学んだら、そのぶん使う・教えること。
これは情報の消化であり、
一回自分の身体をとおして表現することで昇華される。
話す・放す・昇華したら光として放てるかもしれません。
心も体も清らかにすがすがしくいたいものですね。
ヒプノセラピーではじっくりお話を伺います。
そして、CS60では静電気や老廃物を抜き取って、
生き返った気分を味わっていただけます。
不要なものを、どんどん「放し」
役立つものを、どんどん「放って」いけば
よりいっそう美しい流れが作り出されるでしょう。