自己覚知(Self Realization)
自己認識のプロセスのあとは、自己覚知のプロセスが訪れます。
今世、特に目立つことなく、目的や使命もなく淡々と生きている人の真の目的は、
は、自己覚知や覚醒のプロセスを体験することにあります。
これはすべての人に当てはまるというわけではなく、
こうした自己覚知や覚醒に関する情報に触れている人が対象となります。
自分の人生において、はっきりとした目的や使命がないということは、
何かを達成したり特定の使命に邁進するための時間と空間に縛られてないということで、
自分の意識を目覚めさせていくプロセスを静かに体験するための余裕をもっていることになります。
目標達成や社会的な成功に喜びを感じるのは肉体側の意識であり、
それは自分自身が神であるという発想のないときに生まれます。
自分が神であることに気づきはじめると、自分という存在がこの世界の誰とも同一ではなく、
比較や評価されるものでもなく、自分自身が唯一無二の存在であることを知ります。
そして、自分以外のものから認められる必要がなくなることから、
何かを期待したり予測したりして生きることがなくなります。
そうなると、この世界にあるすべての宗教、哲学、思想、学問、アイデアをすべて統合しても、
自分自身の意識より偉大なものはないということがわかります。
自己覚知とは、本質的な自分自身をいっさい裁くことなく認識することができ、
他人の目を気にすることなく自分自身をありのままに表現することができます。
このように自己覚知は自分の魂意識と肉体意識とが拮抗していない状態ではありますが、
覚醒に至るまでは、まだ人類を支配している集合的な思考フィールドの制約を受けることになります。
例えば、他者に対して、『〇〇が必要なんじゃないかな』とか『〇〇をすると喜ばれるかな』などと考えたとき、
それは他者と自分との関係から生み出されるものに期待することになります。
他者に対して何かを行いたいという気持ちは、同時に、何かをして欲しいという期待を持つ人々を集めることになります。
そうすると、自分の行動に善意が映し出され、他者から喜ばれるという承認を得ることにより、
自分の覚知してない部分が強化されます。
未来のタイムラインにおいて、ポジティブな意識状態からはネガティブなアクシデントは起きにくいのですが、
覚醒のプロセスに進む人は皆、喜びの感情ではなく、無私の状態から生まれる陰徳を選びます。
