自己認識(Self Knowledge)

私たちは普段、自分自身を、自分の外側にある何かと比較したり競争したりすることにより、
この世界で実際に何かを具現化してポジティブな感情に満たされるという体験をするように仕向けられています。

また、この社会における複雑な人間関係の中で、しばしば戦略的に嘘をつくことがあります。
そして嘘は次第に嘘ではなく本当であると信じ込んでいきます。
自己認識とは、自分に対しても他人に対しても完全に正直な状態にあり、
さらに、自分の感覚と思考が完全に一致している状態をいいます。

たとえば、何かの出来事で腹が立ったとき、『いま自分は腹が立っている』と意識したとしたら、
それはいまの自分の感情について観察したことを自分自身に報告したことになります。
自己を観察すること、すなわち自分のいまの感情に気づくことはまだ自己認識のレベルではありません。

自己認識とは観察よりもさらに深いレベルの認識になります。
『いま自分は腹が立っている』と意識したあと、この怒りの感情はどこからきているのかを探り、
これまでも同じ状況で腹を立てているというパターンを認識し、
怒りの感情が起きた原因が出来事そのものではなく、
自分の中にある古いデータ(怒りの場合、その多くは傷ついた経験)が誘発していることに気づくというのが自己認識です。

古いデータとは、今世と過去世と同じ情報がリンクしています。
ここで、怒りの感情が起きたことについて、その出来事のせい、あるいは誰かのせいにすることは自己認識から遠ざかります。
起きた出来事を歪曲して認識することなく、ありのままに見ることが自己認識につながります。

そしてそのあと、同じような状況にあっても怒りの感情が起こらなくなったとき、
それまで怒りの感情を誘発していた古いデータは統合されたことになります。

ここで注目べきことは、データが統合された後は、その出来事すら起こらなくなります。
つまり、特定の感情を誘発する出来事が起こるのは、自分の中にある古いデータにその原因があるということです。
それから、身体の不調や度重なるアクシデントは、まだ認識できていないエネルギーを肉体の奥深くや
体を取り巻くエーテル体の中に溜め込んでいることから誘発されます。
自己認識のプロセスにいる人は、未知なるものに対する自分自身の反応(reaction)と
それに伴う感情の誘発そのものを体験するためにアクシデントが起きているという仕組みです。

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