自分の感覚
私は時代小説が好きで、
近頃はもっぱらオーディブルで楽しんでいます。
今聞いているものは、「くらましや稼業」シリーズ。
登場人物は裏稼業の武士とか隠密同心が主となります。
ですので、闘うシーンも多く、気配に関する表現がよく出てきます。
背後から殺気を感じるとか、射貫くような殺気を放っているとか。
真剣や様々な武器を帯びているのですから一瞬の油断が命取りになるので
そういった感覚は必然的に研ぎ澄まされていったのでしょう。
一方現代日本ではそういった、差し迫って命の危険を感じる場面も
そうそうないですし、AIに聞けばお天気も教えてくれて、
その日の服装もアドバイスしてくれる。
健康状態のチェックもしてくれて、食べ物も選んでくれる。
その便利さに、自分の感じる力がいつのまにか衰えさせられていないでしょうか?
自分で感じて考えて、自分の意志で動く力。
私もXやユーチューブは好きで見ていますが、スマホって怖いなと感じることもしばしばです。
気が付けば、釘付けになってあの小さな画面に囚われています。
もしも、戦国時代に現代のようにスマホが出回っていたら、
スマホゲームや動画に夢中になって殺される
ボンクラ侍やマヌケ忍者が沢山いたかもです ね~
スマホ兵法とか言って、敵方のお城を守る武士や忍たちに
スマホを渡してゲームを流行らせるという戦略もアリですね・・・
なんて考えたら、すでに現代日本の私たち、術中に嵌まってしまっていますね。
だれにでも平等に情報はおりてきているのだから
スマホやテレビの情報に目と耳を奪われることなく
自分自身の繊細な感覚を呼び起こして、自分で感じる情報を大切にすれば
これかの時代、危険を避けて生きてゆけるはず。
朝起きて自分で窓を開けて、空気の湿り気や暖かさ、冷たさを感じる。
朝の静かな時間に自分で決めたことを行って
今日の気分や体調を感じて、今日一日どうすごすか考える。
身に着けるものも、気温や湿気、季節感はもちろんのこと、
今日一日を包み込む色や肌触りを、繊細に感じながら選んでいきたい、と思うのです。
自分を中心において、敏感かつ繊細にいたいなあと思う今日このごろです。
今日の一枚
