悩みを解決するための人生?
今朝FB投稿を見ていたら、
長年母親との関係で苦しんでいたのが、
ヒプノセラピーに出逢ってとっても楽になった!
というような投稿に目が留まり、
「え?だから?」
などと、不謹慎とも思えるような感想がポンっと出てきました。
楽になったのは、喜ばしいことなのですが・・・
問題を解決することだけが人生の目的のようになっているのではないか???
という疑問が湧いてきたのです。
問題があったら解決しなければいけないって、思い込んでいないか。
そこに時間とエネルギーをつぎ込んで何を得たいのだろう?
クロスワードパズルを強迫的に延々解き続けて
風の音を聞いたり、あたたかな日の光にやさしやを感じたり、
一杯の冷たい水が喉を潤す感覚に生への感謝を覚えたり、
地球の神秘に心惹かれたりすることのないままに
一生を終えるようなことが起きてはいないだろうか?
クロスワードパズルを解かないと死んじゃうのか?
クロスワードパズルを解かないとダメ人間認定されちゃうのか?
クロスワードパズルを解いていたら安心なのか?
過積載と言うほどに「解決すべき問題」悩みが多すぎるのではないか?
その根っこにあるのは、「こうあるべき」という重く厳しく自分につきつける要求。
「こうあるべき」に自分を寄せていく戦いで、ほとんどのエネルギーを使い果たしている、
使い果たすように、日本社会は設計されているのではないのか。
○○であるべき。
これを持っていると、これだけで一生が終わってしまう気がする。
これをなくしたら、解決しなきゃいけない、も消えていくのではないかなと思う。
永遠にやめられないと思っているのは思い込みで、
ゲーム機の電源を落とすように、その世界からログオフすることも出来ると気づいていたい。
