ワイルドオート・神とつながる聖なるアンテナ
バッチフラワーレメディ全38種の中で、ワイルドオートは唯一イネ科の植物です。
オオムギ、コムギ、キビ、コメなどのイネ科は非常に偉大な植物で
古代から人類の文明の基盤となっているだけではなく、
それらの植物の中に神の顕現をみてきました。
コムギはギリシャ人にとって豊穣の女神デメテルの賜物であり、
キリスト教徒にとっては神の御体となりました。
トウモロコシはネイティブアメリカンにとって天から落ちてきた女神であり、
コメはミャンマー人にとって仏陀のオーラを帯びたものとされています。
また日本の神道においては、神饌(しんせん)という
祭祀などで神様に献上するお食事の第一品目が稲米(とうまい)です。
イネ科の植物が太陽の光を強く取りいれることは、
茎、穎(えい)という稲の穂先についている尖ったもの、
芒(のぎ)という小穂(しょうすい)を構成する鱗片の先端にある棘状の突起などの
細胞壁に珪酸(けいさん)の沈着があることからもわかります。
珪素(シリコン)は、植物に光のパワーを与え、
それらが糖や澱粉(でんぷん)に変化するのを助け、
種子を十分に熟させる働きを持っています。
このことからイネ科の植物は、
太陽エネルギーの波動を捉えるアンテナとみなすことができます。
珪素は光の力を仲介し、宇宙のバイブレーションと結びつきます。
おそらくこの性質があることから、
イネ科の植物は、古代からさまざまな種族たちによって、
神々として人格化された超自我と結びつくためのあらゆる儀式のなかで、
神聖かつ重要な役割を演じてきたのだと思われます。
ワイルドオートが秘めている魂は、神とつながる聖なるアンテナです。
●ワイルドオートの性質がマイナスに現れたとき
バッチフラワーレメディを生み出したエドワード・バッチは、長い放浪のすえ、
自然豊かな美しい風景を持つソツウェルという村で、終の棲家である小さな家を見つけました。
そしてその家に引っ越したあと、身の回りの荷物を解いて間もなく、
近くの小道を縁どる生垣の下に、7人の助け手(Seven Helpers)の最後のお花である
ワイルドオート(野生カラス麦)を見つけました。
それは垂れ下がっている花序(かじょ)の先に
いくつか目立たない花が集まって穂をなしているイネ科の植物で、
バッチは、自分の人生の目標や将来のビジョンが見えず、
いろいろな能力ややってみたいことがいくつかあるにもかかわらず、
それらがライフワークまでにはつながらず、
生きている満足感が得られない人のためのレメディだとわかりました。
●ワイルドオートの性質を持つ人
ワイルドオートのタイプの人は、さまざまな才能に恵まれていて、
特別な努力をしなくてもいろいろなことができたりします。
あるいは自分の人生の中で何かを成し遂げたいと思っていることもあります。
しかし、人生を航海にたとえると、ワイルドオートのタイプの人は、
船の上で自分で舵を取ろうとしますが、残念ながら目的地の港の名前を知らないのです。
ですからワイルドオートのタイプの人は、自分の立場を曖昧にしたまま社会生活を送っていたり、
知的な面でも霊的な面でも自分とは波長の合わないところに紛れ込んで、
面白さを感じることなく時間を過ごしていたりしています。
あるいは、自分の目標を外側の世界に求めてしまい、
意志の強さや努力でその目標に向かって進みつつも、
自分が本当に進みたい道ではないことに薄々気づきつつ、自分の人生に矛盾を見いだす結果になります。
これは、まるで風に吹かれてあちこちに稲穂を向けるワイルドオート(カラスムギ)のように、
エネルギーを四方八方に分散し、浪費している状態です。
●ワイルドオートの性質がプラスに現れたとき
ワイルドオートのエネルギーがプラスの状態になると、
自分が生きる目的を、広く浅くより、狭く深く求めるようになります。
そして、ひとつのことに集中することで、自分の時間が短く感じるほど面白いことがあり、
想像した以上に新しい体験ができることに気づきます。
そして、自分の潜在意識の深いところにある真の動機に近づくことにより、
自分自身の使命が何か「特別なこと」ではなく、
自分自身にとって大いなる意味を持つものであることがわかります。
そしてどんなに小さなことでも、できる限り誠実に、注意深く、
そして完全に行うようにすることで、その完全なる献身の心が神の声を聴き、
そこから導かれる聖なる道につながることになります。
先祖がつないできた生命の光から、
神の光である高い自己とつながるための糸がワイルドオートのお花です。
※中島志保さんのブログ「アカシックレコードの世界」より転載させていただきました。